2015年03月21日

「セイの格率」が意図するもの

 アニメ寄生獣のサブタイトルが「セイの格率」になっているのが、気になっていた。
 なぜ「セイ」とカタカナになっているのか?「格率」は、確率ではなく、なぜこの字なのか?

 見ていくうちに気がついた。
各話のタイトルが、21話「性と聖」、22話「静と醒」、23話「生と誓」

 ゴトウと本格的に戦って決着をつける回のタイトルが、全部「セイ」ではないか!
「この中の好きな漢字を入れてみてください。あなたのフィーリングで選んでください。」というような意図なのだろうか。多様な意味合いを感じてほしいということなのか。

 「格率」の方は、ウィキペディアで調べてみた。次のように書いてある。

格率(かくりつ)とはイマヌエル・カントによって提唱された哲学用語。
1785年に著されたGrundlegung zur Metaphysik der Sittenでは「格率」とは自分の持つ行為規則と定義された。この格率の普遍化が可能であったならば自分は道徳的であるということになる。そして普遍化可能な格率はそれが法則として成り立ち、それは全員がその法則に従うという形で秩序が形成されると考えられるような行為規則である。

 「自分の持つ行為規則」が普遍化可能ならば、「秩序が形成される」ことになるとカントは言っている。パラサイトと人間は、それぞれ別の行為規則(法則)を持って生きている。だから、それぞれの道徳は対立する。
 だが、種の違いを超えて、相手の法則を理解しようとすることが大切だということなのだろう。シンイチの行動がそれを象徴している。
 もちろん、簡単に折り合えはしないし、戦いは避けられないのだが、単に敵として認識するのではなく、相手の生きる権利を認めながら、涙を流して決着をつけている。ごく平凡な世間並みの秩序に乗っ取って生きていた高校生が、短期間でここまで深い思考を巡らすようになるとは・・すごい成長だと思う。
 それに対して単純に害虫を駆除するという認識で行動する特殊部隊は、戦闘力で上回るゴトウに敗れた。彼らとゴトウは同じ法則で行動していたように思う。それは、力の原理だ。一般的なパラサイトは倒せても、超越した戦闘力を持つ特殊な個体には同じフィールドでは勝てない。もっと相手に歩み寄って、特性を理解しなければならない。
 人間の側にも、パラサイト側にも直情的な個体がいて、また逆に相手の立場を理解しようと努力する個体がいて、必ずしも所属する種だけで規定されるわけではなく、個体差があり、それこそ秩序を確立することが難しいと描かれている。

 アニメ寄生獣には、多様な価値観・行動原理が交錯する中で、秩序を確立するとすれば、どの「セイ」を優先するかという含みが用意されているように感じた。そう考えると、非常に哲学的な構成になっている作品だと言える。

 
タグ:セイの格率
posted by のっそりくまさん at 03:16| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ寄生獣

2015年03月19日

アニメ寄生獣感想 2つの社会の狭間に生きること

 2つの社会に所属し、その価値観やライフスタイルのギャップに苦しむことで、主人公の内面が鍛えられ強くなっていくというのは、ドラマの柱になるテーマだと言える。
 寄生獣では、人間とパラサイトの対立的価値観がある。人間から見ればパラサイトは化け物であり、パラサイトから見れば環境破壊や人間以外の動物を食料として殺戮する人間こそが悪魔だということになる。この人間批判の部分が力強く表現されているのが、寄生獣のドラマを深めていると感じる。
 このパターンは、妖怪と人間の子どもである犬夜叉なども同じだ。バンパイアと人間の中間であるブレイドという映画もあった。それぞれ狭間に生きる者の葛藤が作品に反映されていた。
 寄生獣では、シンイチが人間を救おうとし、なにかできないかと悩む場面が違和感なく描かれている。ミギーも徐々にシンイチの望む方法を受け入れるようになっていくように見える。それが合理的な判断だともとれるが、結果的に自分の身の安全だけを優先する生き方を選択できず、巻き込まれる形になっていく。
 ミギーが独自の価値観を持って行動し、単純に人間に荷担する正義のヒーローものにならなかったことが、お子様向けのアニメにならなかった大きな理由だと思うのだ。そこが深い感動を呼ぶ仕掛けになっているのではないか。そんな気がする。
 自分の身に置き換えてみると、命をかけて他の人間を救おうと主張できるのか少々疑問はある。あっさりミギーの主張を受け入れてしまうのではないか・・。そう考えると、自分が主人公だったら、つまらないだろうなと思ってしまう。
posted by のっそりくまさん at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ寄生獣

アニメ寄生獣感想 シンイチとミギーの希少性

 すごいブームになっているアニメ寄生獣について、自分の思いを書いてみようと思う。
 コミックを初めて読んだのが、たしか1990年頃っだったような気がする。仕事で疲れていた頃、ふと立ち寄った古びた喫茶店で、派手な(奇怪な)表紙が目に留まって手に取った。
 ストーリー展開が面白くて、時間を忘れてストーリーに引き込まれてしまった。特に、シンイチが心臓を貫かれてから、大きな変化を遂げるところがスキだ。躍動感がある。
 シンイチとミギーは、少数派の中の少数派である。パラサイトに寄生された時点で少数派であるが、脳を奪われなかった時点で超少数派になったわけだ。彼らはパラサイト・人間双方の中でもアブノーマルな存在になってしまった。この設定は普遍的なドラマづくりのテーマなんだろうな。2つの社会に所属することで、当たり前と思っている世間並みな価値観を疑ってみることに、新鮮な驚きがある。
 彼らは不完全な存在になるわけだが、逆に共同作業や役割分担を導入し、弱点である人間本体を強化することによって、ノーマルな完全体を凌駕する戦闘力を持つに至る。
 結局、アブノーマルが問題なのではなく、そのユニークな部分を理解し、新しい価値や方法論を発見して、自身の特性を利点として活かすことができるのか、欠点としてしか認識せず、既存の価値観を追いかけることに終始するのか。その違いが大きいのではないかと感じた。
 ミギーが他のパラサイト以上に知的で好奇心にあふれていることが、この作品の大きな魅力だと思う。こんな風に既成の価値観を覆す力があれば、強く前向きに生きていけるのではないかと思わせてくれる。
posted by のっそりくまさん at 04:42| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ寄生獣
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